マルーンに乗って

お膝元で暮らす日常の思いつき

『星逢一夜』徒然。(少々ネタバレ気味)

まさか宙組公演終わって1週間も経たないのに大劇場に行くとは思ってませんでした。
深く考えずにチケット取ったものでこんなことに…、まだまだ『王家に捧ぐ歌』は語り尽くしてないのに!

とりあえず忘れない内に感想のようなものを。
どうせすぐまた『王家』モードになっちゃいますから。


さて『星逢一夜』について。

なんと知性溢れる人なんだろう!と星吹さんと瀬音さんがスカイフェアリーズの頃『シークレットハンター』の一場面を再現したのですが、その指導っぷりやダメ出しを見て感心していたのです。
それ以降の活躍っぷりも素晴らしく、この公演でいよいよ待ちに待った大劇場デビュー。
もう、本当に期待通りの良い作品でどうしましょう!といった感じでした。

この作品の素晴らしいところは舞台が完璧すぎて語りようがないということ。
もう観に行ってください!とか言い様がないですよ。

ここがこうだから、この人物はああしたんですよね。
なんて書こうもんなら答え合わせ状態、恥ずかしいことになりそうで下手なこと言えないって感じです。
あ、あとネタバレになりますしね。
(これから行かれる方には前情報なしで観て欲しいから、なるべくネタバレしないように書こうとは思ってるんですが…)

物語を観ていく上で必要な情報が過不足なくきちんと描かれてるのが本当に素晴らしいです。
これ、どういうこと?!というストレスが全くない宝塚って凄くないですか?

さらにステージング(物やセット、人の出し入れ)が本当に素晴らしい。
なんでここで暗転?もない!
舞台上には意味のあるものしかない!!
だから物語の世界にのめり込むことができるんだなぁとつくづく感心しました。
これに通える雪担は幸せです。
(わたしはお金がないのでもう行けません…)

宝塚では大勢出演させられ、かつ派手で見た目も良いことから多様されるという、お祭り場面の処理も素晴らしい!
使っている小道具も美しく、センスの良さも光ります。

しかも幕開き。
あの光ってるの何?ペンライト?まさかね…。→直に持ってないような?どうなってるの?!→何か大きな物を持ってる?(だからこその振付)→明るくなると笹。→あ!蛍か!!
気づきへの導きの自然さも凄い。
しかも見た目で分からなかった方には「蛍村」というヒントあり。
ここまで丁寧で、しかも嫌味のない作りって中々ないですよね。


この作品でわたしが一番注目したのは望海さん演ずる源太です。
彼の凄いところは思慮深く、そして知性派だということ。

賢いと言うのは天球儀を作ってあげるとこらへんからも伝わりますよね。
物としてどう動くかだけでなく、理屈が分からなければ作れない物だと思いますから。

よくある身分差というか立場の違いを描いた作品だと、虐げられている者と征服している者は自分たちのことばかりでお互いを理解しあいません。
何故パンがないのか。
何故アメリカ独立戦争にフランスが参戦しなければならなかったのか。
ずっと平行線で勝手に語るばかり、これじゃあ話し合いなんてまとまりませんよ。
虐げられている者たちに対して下りてきて語る者も珍しいと思うのですが、まぁこれにはオスカルがいるとして。(ただし原作に限る)
じゃあ征服している者たちのことを分かろうとする人物が、創作物に出てくるだなんて中々ないんですよ。

でもわたしはそういう作品ってイライラするんですね。
政府や王族だってバカじゃない、義だってあるし意味があって行動してるんだ!

そんなイライラを吹っ飛ばしてくれる存在なんですよ、源太は。
源太には分かるんですよ。
何故いまこんなに村が貧しいのか、そこで殿様のせいだ!なら陳腐な展開です。
あぁ…大勢出せるって理由でまたバスティーユ的ダンス場面ですか?みたいな。
でも彼はもっと大局的に物事を見ていて、何故殿様がそうしたのかも分かっている。

…これは悲しいですよ。

何なら彼には一揆の行く末も見えていたんじゃないかな。
それでも村のリーダー的存在である彼に一揆をしないという選択肢を取るのは難しくて…。
いつからどう生きるのかを考えていたのですか?と聞いてみたい気がします。

また源太が早霧さん演ずる紀之介にお願いする時に身を投げ出すんですが、これが何とも言えずいいんですよ。
誠実というか、彼の人の良さがとても出ていて。
あと土下座にしなかった上田さんは本当に分かってるよね。

二人の対決ではお互いの思いをぶつけ合う!
そうとしか生きられない男の覚悟と覚悟の戦いです!!

しかもお互いに自分の覚悟も大事だけど、相手の覚悟も重々理解しているという苦しい展開。
しかもどうこの戦いを終えるかなんて方法、一つしかなくって…。
観ているこちらの心がヒリヒリします。

最後紀之介の運命が、というよりは人生が遠くに追いやられる時。
何故そうなったのかを理解できるのは源太だけだろうから、そういう意味でも櫓に座ってる紀之介は孤独でしたね。
やっぱり希有なんですよ、上の者の気持ちが汲み取れるものは。

そして紀之介も虐げられている者たちの気持ちなんて、分かりすぎるほど分かる人だから…。
もし身分が同じなら親友になったかもしれない、でも身分が違うからこその関係性で…。

恋愛にしろ友情にしろ、何故無垢な気持ち一つで隔たりを飛び越えるのはこんなに悲しいのか。

何かの芝居で「愛は全ての隔たりをも越えられる」って台詞があったと思うんですが(何か思い出せない…)、越えた先は荒野って感じがします。
気持ちだけではどうにもならない現実がそこにあるから。

ロミオとジュリエット』が原作の『ウェスト・サイド・ストーリー』でマリアはこう言います。

「問題なのは私達じゃない!周りよ!!」

そんなヒリヒリした世界が圧倒的に美しく描かれているんです、『星逢一夜』は。


そしてヒロイン泉の恋。
すいません、ここからがっつりネタバレてしまいます。

これはねぇ、ラストシーンが素晴らしすぎて…。
小太刀を後生大事に持っていた、この事実だけで伝わる思い。

本当に好きなんだね。

食べるのに困った時もあったろう、嫁ぐ時もどうするか悩んだこともあったはず。
でも手離さずに持っていた、その小太刀と泉の過ごした長すぎる年月。
それも錆びていないということは手入れもしてたんだよね。

紀之介が村を離れる時に泉に渡した小太刀。
これ見た瞬間、時代劇好きなわたしは「それ、アカンやつーっ!」と泣きそうになりました。
侍の魂を村の娘に託して去る。
あの時紀之介の心と体はふたつに分かれたように感じました。

そして「お侍の魂」と言う泉。
幼いながらもその意味を分かっていた。
これもねぇ、辛いです。

某かの障害があるから思うようにできない、なんてことはないんです。
例えば『アンナ・カレーニナ』とか。
ラストで泉が選ばなかった選択肢と、紀之介が選ばせなかった選択肢の一番大きな理由は源太なのかな。
少なくとも子供じゃないと思うんです。
あのグッときた理由を確かめにまた観たいけど無理なのが残念。


緞帳が下りる前の景色は泉にだけ感じられるあの日の幻のようでした。
彼女だけが変わらず蛍村で、櫓の傍で生きているんですものね。

そう、生きるために懸命になる。
そんな姿が相応しいヒロインでした。

とにかく『星逢一夜』オススメです。